昨夜遅く、先輩からのメールが届いた。
「流石、教授の論理構成!これでは相手弁護士もぐうの音も出ない」旨の
昨日、私が送ったメールへのお褒めの言葉を頂いた。
そこで先輩に、「思わず、ほくそ笑んだ」と返信する。
何故なら、実は、それは教授の論理構成ではなく、私のそれだったのです。
しかも、その他にも、ぐうの音も出ない仕掛けを組み込んでおいた。
すると先輩から「法律家としての言い回しが身に付いていて凄い」と嬉しい返信が届いた。
さてさて、これで相手弁護士から、どう言う「言い訳」が来るか楽しみである。
『波瀾万丈』で松岡修三をゲストにしていたので、「熱血」ファンだから鑑賞した。
ウインブルドンでの「この一球は絶対無二の一球なり!」の名言を聞けた。
来週の講演先から、打ち合わせのメールが届き、講演内容を検討をする。
そこで、レジュメの作成を先にし出したが、なかなかまとまらない。
これでは執筆中の原稿に差し障ると、途中までとした。既に午後2時半だった。
レジュメは無くとも話せるのに対して、本は原稿が全てだからだ。
しかし・・・これも結局は話の内容を決めねばならないから・・・
その構想のためにも、書かねばならない。
思い直して、4時半までの半日を掛けて書いて送信した。
講演内容は、平たく言えば、「経営計画の精神論」である。
「経営者」とは不思議なものだ。いや、これは経営者に限らない。
学生・・・もっと一般的に人間すべてがそうだ。
頑張れば良いことは判っているのに、何故か頑張れない。
どうしたら「やる気」が出るのか?こと「経営者」に限っても・・・やらねばならないことがある。
自分のことなのに・・・頑張れば・・・自分の会社が良くなって、誰からも祝福されるのに
やらない。どうも「やる気」が出ないでズルズルしている。
私は、これには、ノウハウがあると思っている。いくつかの法則に従って行えば
相当の確立で「やる気」が出て、実践できるはずである。
今回の講演での「隠しテーマ」は、自分の講演する目的ともした。
それは「万有引力の法則」を「やる気」に応用したものだ。
このテーマは、私の永遠のテーマでもある。謂わば「ライフワーク」でもある。
随分、長きに亘って検討してきたので、少しは判って来たこともある。しかし終わらない。
この講演でどれだけそれに迫れるか、いつもチャレンジである。
研究会のある先生から、私を例えて「野人」ですねと言われ、まんざらでもなかった。
もちろん、野人には無粋などの意味もあって、まあ、その意味でも当たっているが・・・
社会に出てまもなく、勤め先で「野伏(のぶし)のまきちゃん」と言われたことがあった。
しかし、これも「嬉しい響き」をもった言葉として印象に残りました。
野伏は、山野に修行する僧ですが、2001年の9月、正真正銘の座禅道場に、
丸々1週間もの間、篭った時のことを想起していた。
24時間全て私語禁止、食事も排泄も睡眠も座禅の一環で、それら以外の時は
ただただ座り続ける、極めて厳しい修行だった。
TVもラジオも携帯電話も勿論禁止で
ちょうど、その期間に起きた、同時多発テロは、下山するまで知らなかった。
それが、今では、ホテルに篭ることが多くなった。修行の対象も「原稿」と変わった。
共通するのは「無」、転じて「空」だ。そして、「空」から「色」を産み出す。
「色即是空 空即是色」・・・「存在することは、即ないこと。ないこと、即存在すること」
その間(はざま)に、創造、創作があり、自分を見出す歓喜の時すらある。
それが「やる気」である。
文庫の新訳「古典」の翻訳家3人のインタビューを朝に続き、深夜の再放送で見る。
執筆に当たって、私が注意することが、同様に翻訳家の口々から出るのが興味深い。
その一つが「リズム」である。古典を「今、息づく言葉で」蘇らせるには、それが欠かせない。
ページを開く「リズム」を非常に意識して、構成を立てるのは私の流儀の要でもある。
翻訳は「語り直しの技術(芸)」だと思える。私の原稿も、ある意味、条文の翻訳である。
「条文」という「古典」を「新訳」するような作業である。