7時半起床でいつもの朝、朝食では先週、クレームを呈した日経の増刊を請求した。
しかし不可解だ。何故、増刊は綴じられないのか説明はなく、新聞のラックには
先週以来、「増刊をご希望の方はフロントにお申し出下さい」と貼り紙がある。
先週、実験したが、増刊による厚さで綴じられなくはなかったのである。
説明がないままでは、クレーム処理が終わっていないのだが、
最早、言う気もせず、信頼だけを落とした評価で、私の胸の中に収めることとした。
それでは、残念なのはホテル側であろうにとは、思うのだが、無理強いもできない。
メールチェックしながら、TVでは、「ネット販売のトラブル」を学び、
続く『課外授業』では、魚くんの“胸キュン”授業を見る。
番組表で、「魚くん」とあったので何のことか分からなかったが、面白いキャラクターである。
最初はおどけているのかと思ったが、あれが地なんだ。ある意味、凄い!ユニークだ。
魚以外のことは、全て苦手で、幼少のころから、
お母さんの理解の下、好きなことに没頭して3000種類を独学で学んだという。
箱河豚の帽子を被った彼は、胸の内にあるキュンとするものを大切にする人生を説く。
やがて、東洋水産大学の客員准教授に招かれた現在も、あの調子っぱずれな声で話す。
肝心のメールは、教授から助言と提案を頂いた。これを受けて、検討をしつつ返信を書く。
書きながら、昨日の『金とく』の県岐商のマーチングバンドのドキュメントの再放送を見て
再び、涙してしまった。
先日から調べていた言葉が、ふと「ノーブルオブ・・・」でないかと浮かび、検索すると・・・
「ノーブル オブ ルージュ」としてやっとヒットした。和訳すれば「高貴な精神」ということである。
“先輩”の出典を聞いた時にちゃんと古典に当たって調べておけば良かったと同様に、
この「ノーブルオブルージュ」も石原慎太郎だったか誰かが話した時に留めておくべきだった。
今では、やっとこの言葉を回収したものの、あの時の解説に感動した内容を“再現”できない。
日本で言えば“武士道”とでも言えば良いのであろう。
それを逸脱すれば、只の拝金主義に陥ったりするから、高貴な精神を持ちながら
あらゆる・・・と言うのは企業も家庭なども、という意味で「経営」をしていかねばならない。
さて、教授と先輩にメールを書き終わると、丁度正午となり、ニュースを見る。
今朝の寝不足で、『生活笑百科』を見つつウトウトした。
昨夜コンビニで買った大盛りのサラダに、ドレッシングを掛けて食しつつ『篤姫』の再放送を見る。
幕末の歴史はややこしい。学ぶにはドラマに限る。
丁度、別に書いていた文章で「誇り」に出会ったが、
それが画面の台詞で誇りとは・・・を問う台詞があった。
「その人をその人たらしめる、その人の生き方を支えるもの。」と
樋口可南子演ずる篤姫の母親が気品ある言葉遣いの内に語ったことばである。
先の「ノーブルオブルージュ」に通じることである。
しかし、その一定の限度を時に超えてしまう人間の性があるからこそ文学が成り立つ。
また、それが人間と言える。たたらを踏んで、後悔することもある。逆もまた真なりである。
仮眠して3時から原稿に向かう。5時から夕刊と食材を調達し2,000歩弱を散歩する。
9時まで「時価マトリックス」に取り組み、二転三転する記述内容に四苦八苦する。
9時から筆を止め夕食を摂りながら、『フルスイング』の第二回を鑑賞する。
著作権侵害事件の対応を先輩や教授と打ち合わせし、準備万端とした。
『サンエンスゼロ』でネオジム磁石を学ぶ。
8日ぶりに飲酒する。何かプレッシャーなど精神面の開放を必要としたからだ。
深夜0時半にコンビニで赤ワインを買って、好物のスモーク味の”さけるチーズ”で飲む。
染み渡る。また原稿に向かうも、やはり論理的思考は最早出来なかった。
精神の開放だけは出来たこと良しとして、1時半頃就寝する。
そして、翌日気が付くことになるが、ストレッチを忘れてしまった。