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飛騨から美濃へ+「男の子になる」?

年末休業の初日は飛騨福地温泉で目覚めた。恒例の年末最後の忘年会での宿泊の翌朝は、まだ暗い5時半頃に起床した。何やら悪夢を見ていた。言い知れぬこれまでと異質な夢だった。昨日の読書が影響しているのだろうと思ったが、今は思い出せない。

同室の他の5人はまだ寝ている。いびき一つ無い。半纏をまとい地下1階の内湯に浸かる。

昨夜しっかり食べたにも関わらず、73㎏とまあまあの体重であった。浴場の近くは暖房が強く、一旦部屋に戻って財布を取りに行ってゼロコーラを飲んでロビー近くの応接セットで、昨夜の読書の続きを過ごす。
その内、朝刊が届き、中日新聞を一読して、6時半過ぎに読書の疲れから、もう一度、布団に潜り込んで追い寝する。

8時に起床して、今年最後の朝ドラを鑑賞して8時半から朝食コーナーに向かう。8時40分からロビーでコーヒーを飲みつつ、また読書。ここで笑った。何故かはひとまず後にして、この本のテーマは性染色体、つまりY染色体のことで、高校の生物の授業で習ったことである。しかし私にとっては、中学の夏休みの自主研究で独学したテーマであった。まあ、もっとも、それには大いなる恥を伴った。

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中学での“研究〟はある科学番組を見たことに始まる“初々しい疑問〟からであった。
番組は言う「母親の遺伝子XXと、父親の遺伝子XYとが分離して、母のXと父のXとが結合すればXX、すなわち女性となり、反対に母のXと父のYとか結合すればXY、すなわち男性となる・・・」そこで中学一年の私は「?」と思った・・・。

「いったいどうやって一緒になるのか?」これこそ、私の夏休みの“研究〟テーマであった。
当時は性教育などというものは、特に男の子にはなく、図書館にもそんな文献はない。市立図書館か県立のそれに行けば、恐らく存在はしたろうけれども、それほどの“学童〟でもない。

ただ真面目だけの私は、理科の先生に廊下で質問をした・・・・その時の先生の言葉は一生忘れないだろう。ある意味、恨むことになる返事が来た。
「それを知るには早過ぎる」とのたまって、すごすごと行ってしまった。後に残された私はキョトンとして疑問符を体言したまま、突っ立っていた。

しかし、そこで終われば、只の真面目だろうが、私のそれは、頭に「馬鹿」か「超」が付いていた。と言うか理科の先生も教えてくれない真実を知りたいと思った。
自分なりに調べて、研究結果・・・といっても“肝心な解答〟を得ない途中までを、夏休み明けのクラスの研究発表の壇上で得々と、演説よろしく報告したのである。

かの理科の先生は、私の発表の間、ずっと聞きながら私に背を向けて試験管やビーカーを恥ずかしそうに洗っていた・・・・「この馬鹿が!」と思っていたのか「アチャー!」と思っていたのか知る由も無い。

発表を終えて、半ば得意げに壇上を中央から降りてくる私に、日ごろは口を余りきかないある級友が、今でもはっきりその級友の横顔を覚えている。余りに私を可哀想にと思ったのであろう。「あのな~お前・・・」と“真相〟を耳打ちしてくれた。しかし皆がいる手前、級友も間接的にしか言わないので、幼い私は未だに訳が分からず、得意満面であった。

それから私自身が“真相〟を真実をして知ったのは、何ヶ月もした後だったと思う。ほんの偶然から読んだ週刊誌「女性自身」が情報源だったと記憶している。あれ以来、理科の先生(あだ名はカエル先生と言った)を信用しなくなった私だった。
同時に一人の「理科離れ」を生み出したのである。世の学校の先生よ!「啐啄同時」を知れ!生徒が求めている時、その瞬間こそ教育の好機なのだ。

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話を戻す。ロビーの喫茶コーナーで読書中に笑ったのは、次の記述であった。
受精卵の窪みから「割れ目」に発達し女の子になる。ここで性の分岐点が訪れ、男の子になるために・・・
『それはなにはともあれ、割れ目を閉じあわせることである。
男なら皆、自分の身体の微妙な場所で、それが実際に起こったことだということを知っている。
睾丸を包む陰嚢を持ち上げてみると、肛門から上に向かって一筋の縫い跡がある。
それは陰嚢の袋の真ん中を通過してペニスの付け根に帆を張り、ペニスの裏側までまっすぐに続いている。俗にこれは“蟻の門渡り〟と呼ばれる細いすじである。
男の子は早いうちからこのすじの存在に気づいている。知っていはいるけれど、なぜこんな線がこんなところについているのか、そのことについて、思いをめぐらせた少年はどれくらいいるだろうか?』

それは、先のような“研究発表〟を仕出かした私の幼少の頃の疑問そのものであったから、笑ったのである。と同時に、人生数十年を経て、ようやくそのことを真面目に答えてくれる大人に、まさかこんなところで出会うとは・・・感謝のような気持ちにもなった。「カエル先生」とは大違いである。

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9時10分のバスに乗るには、旅館から30mのバス停まで雪道で滑り易い所を革靴で、“蟻の門渡り〟を歩くように慎重に歩かねばならない。高山に向かう中は当然、楽しい読書となる。

10時半頃、高山駅に到着すると、特急の出発までには1時間あった。お土産の牛肉こぶ巻きを買って待合室でまた読書。11時35分のワイドビュー飛騨の自由席は3号車のみ。また読書三昧。待合室で買った安目のナッツとワゴンサービスのコーヒーで読書の続き。

そして読み終えた。まことに820円はお値打ちな新書である。5,000円しても良いアイデアを頂けた。
往復の旅路の間に読んだことを復習する。特にエピローグの「私たちにとっての、無意識に浸る媒体である『時間』を越える体験としての加速覚」については大いなるヒントが隠されているように思えてならない。

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『私たちにとっての媒体とは何か。それは、時間である、と私は思う。時間の流れとは私たち生命のながれであり、生命の流れとは、動的な平衡状態を出入りする分子の流れである。つまり時間とは生命そのもののことである。生命の律動が時間を作り出しているにもかかわらず、私たちは時間の実在を知覚することができない。』
ここまでの、前半は前著のまとめである。後半が媒体=時間との仮説から次への導きである。そして続いて・・・

『いや、むしろこういうべきだろう。生命は時間という名の媒体の中にどっぷりと浸されているがゆえに、私たちはふだん自分が生きていることを実感できないのであると。
ならば、時間の存在を実感できる一瞬だけ、私たちは私たちを運ぶ媒体の動きを知り、私たち自身が、動いていること、つまり生きていることを知覚しうるのではないだろうか。』

『時間の存在を、時間の流れを知るたった一つの行為がある。時間を追い越せばよい。巡航する時間を一瞬でも、追い越すことが出来れば、その瞬間、私たちは時間の存在を知ることができる。時間の風圧を感じることができる。それが加速覚に他ならない。』
加速覚は『落下だけでなく、アクセルを踏み込んだときに現れる。上昇時にも発進時にも(現れる)』
『加速覚は身体のどこで検出されているのか。それはなお明らかにではない。』

『加速されたとき初めて私たちは時間の存在を感じる。そしてそれは最上の快感なのだ。なぜならそれが最も直截的な生の実感に他ならないから。』加速の著しいオートバイの加速は、それに媒体の空気も当たるから一層強まるのだろう。それらは押しなべて「変化」であり、良い意味での「抵抗感」である。

私自身、これらが後にどれほど役立つかは分からないのである。しかし役立つ直感が働いた。それは分子生命学ほどの緻密さを要求されない、社会学だからこそ、直感でも構わないからである。

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そこで、その直感で、私は少しだけこのベストセラー作家に、思いつきの反論をメモした。「浮遊感」「加速覚でなく脱重力」と。それが男が男として邁進する麻薬であるとするならば、それに擬似する「錯覚」さらには、媒体そのものである「時間」への興味も理解できようか?未だ答えは定かでない。(しかし、この文章の後半で、ほぼ核心に迫れたものと信じる。)

しかし、あと少しの所に、直ぐその裏に真理の答えがある予感がする。真反対な「只管只座」が悟って知覚する快感と仮定すると、「加速覚」はどんな凡夫でも感じることができる快楽といえるだろう。
「加速覚」を誰にでもいつでも実行できるように一般化できたら・・・心理的よりも、行動として一般化できたら・・・人類はそれを少しは見出している。

例えば、「酒」である。あるいは「麻薬」である。飲むという行動だけで「加速覚」に似た「浮遊感」「脱重力」を得ることができる。これに代わるものがあれば解である。
しかし難しい。ならば心理的にはどうか?これも方法としてはある。「陽転思考」などの「プラス思考」であろう。

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だが、私の求めているものは、それを超えたものである。理論物理学で言う「大統一理論」に近似のもののような気がする。4つの自然の力を統一して記述できる理論としての(超)大統一理論。その4つの力の一つに「重力」があるからだ。
勿論、大それた数式を用いて物理学を展開しようとするのではない。人生学としてのそれなのだ。

そこで「加速覚」は、未だどこで検知されているのかは分からないのだが、私の推論では・・・その推論は今回この本を読むことでなしえた進歩であるが、「消化管神経回路網」と思うのである。これは学者によっては「リトル・ブレイン」と呼んでいる。

筆者は『私たちはひょっとすると消化管で感じ、思考しているのかもしれないのである。人間は考える葦ではなく、考える管なのだ。』といい、先に例示として挙げたミミズについて『意外なことに、脳がないとはいえ、ミミズは、あるときは葉っぱのどちら側を咥えれば巣穴に運び込むのに都合がいいのか、迷いつつ、”考え〟さえしているのである。これらの生命活動は、消化管に沿って分布する神経ネットワークによってコントロールされている。』としている。

これは、加速を感ずる、あのぞくぞくっとした体の中心から突き抜ける体験とも符号する。これを手軽に、出来れば、常に実践する。ここに至って「S・K・I(仮称)」が遡上する。ここでは未だコードネームで、確証たる結論ではないが、それは、確かに「時間」を超越している。従って「加速覚」や「浮遊感」・「脱重力感」すらある。

これは思わぬ収穫であった。多忙な中、思考を継続した甲斐があった。違う道で探した答えが実は同じものであったとする、擬似「青い鳥」現象である。違う方法で検証して同じ解が出たならば、その解の精度は高まる。これは経理の基礎知識でもある。

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これらを大きく敷衍(ふえん)すれば、これを機軸にして、個々のリトルマーケットを構築すれば、ハーフ・エコノミー環境でも今の通信とデリバリーの発達した世界では少なくとも日本ならどこででも可能だろうと推定する。
基幹インフラ産業は無理かもしれないし、そんなことを考えることも面倒だという人々は当然存在するから、それらは無理に範疇に入れる必要はない。

その気のあるヒトだけで、集合分散を繰り返せばよい。
信頼を軸にせざるを得ないから、なるべく小さな集団で。理想は個人だろう。
個人でネットワークを作るのが最高だろうと思うが、それが集団で出来ればさらに凄いことだ。
しかし理論的に可能であっても、どうしても集団になると、成立し辛いのは志を統一できない不穏分子が混ざるからである。こうなれば、既存の企業と変わらない。

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さて、話は福岡氏の著書に戻ることにする。
「余剰」についての解釈も、「時価」についての研究に、いつか資する気がしてならない。
さらには、次なる税法論文への、足係りも得ることが出来て、本にメモした。「件数チェック」と。

車窓の風景が白から茶へ、茶から緑に変化していく中で、飛騨の国から美濃の国へ下ることを知らしめていた。次の読書に向かいたい欲求を抑えて、年賀状のイラストの構想を練る。

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2時前に帰宅して、土産を渡し、新聞とメールのチェックと片付けをする。今日から実践は「その場片付け」である。新聞もブログもその場でやろうとすると結構、片付け時間が必要である。昼食代わりの林檎1個とヨーグルトでこなしてゆく。

6時半の夕食は全員そろってのすき焼き。7時のニュースの後、『篤姫』総集編の第二回を見始めると小気味良くて魅入られてしまうので途中で録画に任せ、自然音CDに切替た。ブログの続きを書いてやっと「その場片付け」が出来てきた。

9時半過ぎに入浴すると居間では娘の進学問題で盛り上がっていた。10時40分からまたブログに戻る。日付の間違いに気が付いた。数日分ずれているのだ。この修正は面倒だ。さらに録画に任せていた『篤姫』の録画が間違いで、ダブルでがっくりきて、今夜は禁酒の積りが切れてしまった。久しぶりの白ワインは、だから苦い。負けた味だ。厳密には、この時点では、先述の「大発見」をしていないので、負けた味だけが残ったまま、0時半に寝る。

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2008年12月27日 18:17に投稿されたエントリーのページです。

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