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短大最終講義+三訂版届く+経営を考える3題に水子を思う

4j時間弱で目覚めねばならない。寝不足が続く。今日は、短大の今年度最終講義の日だ。
JRの中で新聞チェックし、名鉄構内で、電子申告の質問を税務署にして、準備を開始した。
名鉄とスクールバスの中で、今日の演習問題を解いてみた。

10時40分の開始の前から、もう質問攻めである。3年前の相続で、まだ揉め続けているという案件である。授業は、今回も全員出席である。前回も全員出席だった。今回は、総復習ということで、前回の文章問題と打って変わって、計算問題をやってもらう。
                                                                      

最終回ということで、新年度の予告とアンケートに修了証書の授与をする。無記名のアンケートを後で読むと、とても好評だったことが、分かって、すこぶる気分が良かった。     

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往復のスクールバスは、初めての小型バスであった。
帰りの名鉄では、何か疲れがどっと出てきて立っているのが辛かった。精力付けねばと考えて、王将にゆくことを考える。

金券ショップで換金率を聞くと90%とのことで、朝、江南駅の店と同じだった。やはり東京の方が効率で少なくとも93%だったので、換金を止めた。駅前のベイクドショップの前を通ると、人気No.1の卵ロールが1時の焼きたてだったので、7分経過しているだけと購入を決めた。

テイクアウトしたが、これから書店を見なければならないと、出来立てが冷めてしまう。立ち去る瞬間にイートインに切り替えて座って食べた。まだ暖かい。
出来立ての美味しさに、「これだぁ!」と思いつつ、パックジュースを飲み出すと、テーブルの前の表示に「パックジュースなどはテイクアウト専用・・・です」と書いてある。「ああ!そうだった。」と思い出して、ストローを刺したまま、逃げるように持って出る。

テルミナの三省堂に行くも、まだ昨日発売の拙著の三訂版は陳列されていなかった。
JRでは、珍しく座った。直ぐに眠気がやってきて、乗り越しそうになった。地元の王将に走り、餃子とニラレバ炒めで精を付ける。

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2時50分頃に帰社したのだが、考えて見るに、今まで、短大の帰りに、ちゃんとした食事を摂ったことは殆どなかったのである。
出版社から三訂版の贈呈分が届いていた。パラパラとめくって愛でる。そして、出版社のプライシングについて、納得した。

その後、庶務を行うも、もう流石に限界。時折、自然に寝てしまう。
今朝の新聞の中小企業の雇用維持対策の記事は、含蓄がある。結局は、雇用を守るためには、「収益源」を見出さねばならないし、日頃から、財務体質を堅実にしておかねばならない・・・極当たり前のことである。

ここでも、松下幸之助の言葉が出てくる。その言葉を実践したからこそ、現在があるという豊橋市の樹研工業の松浦社長は有名である。その松下幸之助の言葉は「中小企業は身の丈にあった経営をしなさい。内部留保をためなさい。」という、例の「ダム式経営」であった。

以降、松浦氏は手形決済を現金決済に切り替え、役員賞与と株の配当を廃止するなどして、堅実な財務体質を築いたいうが、この関係が分かる人は少ない。記事は締めくくった「雇用を守ると宣言した経営者は“家長”としての知恵と判断を日々試される。」と。

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ある、講演依頼書が入っていた封筒に、何と「請求書在中」とスタンプが押されていて驚いた。しかし、またレジュメを作成するさいに、著書を使えないことでの著作権・出版権問題について説明しなければならない面倒さを感じた。

先日の深夜の録画で『プロフェッショナル』で料理人西健一郎(71歳)の回を鑑賞するも、やはり途中で意識を失っていた。録画だから戻してみると、何分仮眠していたか分かるが、20分であった。電車の中での5~10分程度やらと小刻みに睡眠不足を補っていた。

西健一郎氏は「手間をかける」ことを40数年継続して、日本料理の最高峰にあって、父の言葉である、死ぬまで勉強を続けている姿に頭が下がる。自分の15年後に想像を馳せる。
おせち料理の準備には、6日間営業をやめて向かうと知り驚く。盛り付けにも、これほどの苦労がかかるとは・・・それに老骨に鞭打って向かう姿に、心配にもなる。

日本経営合理化協会の「繁栄への着目点」で「危機を乗り切る新製品は『売り』から入る」は的を得ていた。TVなどのマスコミでは、最近(今夜のWBSでも放送されると予想しているが)中小企業の対策として新製品開発で、ニーズを探し・・・が述べられるものの、肝心の売りまでに言が及んでいないのだ。

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社員は、今夜も連日の残業となり、妻が食事を用意してくれた。これから、約1週間は残業が続くかもしれない。
ニュースの後、庶務をしつつ、『試してガッテン』でコリコリ(トリガーポイント 慢性痛)を学ぶ。
痛みの原因が無くなっても、痛みがある、それは脳が引き起こす幻なのだが、痛みが存在すること自体は事実である。それを説明仕切れていなかったように感ずるのは私だけだろうか?
それにしても秋吉久美子の色気は『夢千代日記』を思い出される。

8時半過ぎに社員は終業し見送る。ブログで反省しつつ、9時のニュースで小沢民主党党首の公設第一秘書の西松建設政治献金事件での逮捕に掛かる報道を追う。

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10時からの『その時 歴史』は教訓に満ちていた。1929年10月24日の暗黒の木曜日。80年前の世界恐慌を振り返るのだが、現在の構造に似ていることを痛感する。つまり、人間の欲は懲りないもので、80年前の生き証人はいないから、皆に免疫がないようなものだ。いつまでも繁栄が続くと見えてしまう・・・。

解説に内橋克人氏があったのも重い。共生経済=人間が共同で市場経済を管理していく経済を構築しなければならない。そして、食料・エネルギー・ケアについて自給圏を唱えていた。

危機を察した、相場師のケネディ(あの大統領の父)は、いち早く2ヶ月前に撤退して、後に金融の世界を見下して、自らは実業の世界に転進した。「証券会社や投資家などの金融界の連中は、これまで過大に評価されてきた。でも彼らは、この混乱を収拾できないではないか」とケネディは言い残した。

同じく大暴落の折に空売りを仕掛けて巨万の富を得た、ウォール街のキングと呼ばれたもう一方の相場師ジェシー・リバモアは、結果的に全財産を失い、自ら命を絶つ。

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2009年03月04日 13:29に投稿されたエントリーのページです。

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