前夜は4時就寝で、土曜の朝は4時間ほど寝て、8時15分起床で、朝食に向かう。及第点のトーストを食すと、マーガリンでありながら、山の上ホテルのバターのそれよりも美味いのである。新聞チェックと『ウェークアップ』を、9時21分から『e経済』に切り替えて、ブログを書きつつ見る。
10時過ぎから、『双方向解説 そこが知りたい』を見つつ、来週の上京講演のレジュメを準備する。11時過ぎから、調査訪問先からの大学への乗り換えなど時間を確認し計画を練る。11時半から、水子原稿の蘇生計画を立てる。担当者にメールを書き・・・
正午のニュースを見つつ、原稿を見直す端緒を探す。仮眠数分の後、朝ドラを見つつ続ける。
その時の、気持ちは、別の会社にプレゼンをしたときの、先方の言葉「判り難い」を思い出して、反芻し、生理的分り易さを追求して、一つのアイデアを得ることが出来た。
そこで、それをトライしてみた。結果は上々である。これで一つの目処が立った。さらに、頁を分けて少しづつ、説いていくことにしてみる。
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来週の上京時に、相談に応じる先生より返信があり、有難いことに顧問契約のお申し出まで頂いてしまった。昨年来、私の事務所の2桁も違うような巨大な事務所からも、このようなお申し出を受けることがあって感謝にたえない。これらは、昨年末までは全く想定外のことで当惑さえしていた。
その昔、OBの先生で、そのように他の事務所の顧問になっているとのお話を伺ったことがあって、「へ~っ凄いなぁ~」と思ったことはあったが、まさか自分がそうなろうとは考えもしなかった。無論、何も営業活動を行っている訳ではなく、自然にお申し出を受けることになるのです。
誠に過分なお話で、それだけに精一杯務めねばならない。しかし、私のような小さな事務所にとっては、実務を引き受けるとそれだけで、事務所が動かなくなってしまうので、プランニングやアイデアあるいはお困り事を中心に相談に応じるようにしている。
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3時まで、これらに対応し、フロントで東京講演のレジュメ発送の手配をして、漸く、改訂版原稿に向かう。先月の30日まではこれに没頭していた。31日に新法が公布され暫くの間、この改訂版原稿にも関連するので法律と政省令の読み込みを行ってきたが、いよいよ、それらをまとめて、著すことになる。
とは言え、全体像を思い出す必要が、慣性の法則によって重いので、ローギアーで始まる。中々やる気が起こらない。怖いのである。面倒なのである。
この様なときは、やる気から起こし直さねばならない。私の場合は、未来の壮大な計画などを見つめ直して、だから現在、今、これを頑張らねばならないとの大義名分を押し立てる作業から始まる。
壮大な計画とは、数十年先の計画からである。まずは休憩を入れ、ベッドで背を伸ばし、一瞬目を閉じ、顔を洗い、ナッツを口に含んで開始する。事務所にもこのため所長室にはベッドが必需品である。しかし事務所のそれは、ソファベッドだから寝心地は最悪であるのに対して、ホテルは最高である。
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そうこうしていると、水子原稿の復活のアイデアもまた浮かんできた。
今朝浮かんだアイデア「B/S・P/Lの上下位置合わせ」に続き「肉抜きコラム化」が浮かんだ。これは金属加工上の軽量化の技術である「肉抜き」をして、その抜いた肉をコラムで解説する方法である。
しかし、これらは、目の前の原稿から逃避したいための、口実として、やっているのが実情である。丁度、試験勉強中に、別の学問がやりたくなる、あの気分と同じものである。
年間計画の見直しを終えて、4時半から、これまでの原稿の読み直しをして、頭をそこまで戻すタイムスリップをしようとするが、中々、読む気になれない。抵抗感があって、仮眠をする。
5時半過ぎに、夕刊も買わず、買い物に出掛け6時から、ニュースを見て、こんどこそ・・・!と噛り付く。そのエネルギーになったのは、「ゆであずき」の缶詰である。これを4分の1程、パクッと食べると元気が出た。
暫く原稿から離れていたということは、このような拒否反応も生まれる代わりに、より第三者的に読むことができるので、書いていた時の“のぼせ上がった”感じではなく、冷静に、読者の目線になって読むことが出来る利点がある。その好奇心で読もうと決心!
そして、やっと原稿の中に飛び込むことが叶った。もうこうなるとしめたもので、どんどん楽しくなってくるものだ。7時半のドラマまでの時間、没頭を楽しむことにする。篭る初日にこれが出来る時は好調であるとさえ言える。
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7時半、待望の『居眠り磐根 江戸双紙 陽炎の辻 3』が始まった。見ながら、夕食とする。今回のシリーズは連続14回と知り、思わずニンマリ。これで暫く楽しめる。しかし、今夜の初回は今一であった。
食事は、不摂生だが無性に食べたくなった、インスタントラーメンである。しかも十何年ぶりか、それ以上の数十年ぶりの「さっぽろ一番」である。勿論、サラダを共にしてバランスを保つ。シーチキンを丸ごと1缶開ける。何やら、一人でお祝いである。
続いて『追跡! AtoZ』で預金口座売買による振り込め詐欺などの実態を見る。口座売買は犯罪であるとの認識がなく、生活費などに困って簡単に考えていて問題だ。僅か5,000円で売買して前科が付く。将来、永久に口座を作れなくなる可能性も高い。
しかし、1時間の休憩を終えたところで、8時半に番組は途中だが切り上げて、原稿に向かう。良い傾向である。
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1時間の集中の後、『動的平衡』の続きを読む。エレベータの待ち時間など、細かな時間を紡いで読み進んで、現在5分の4ほどに来ている。
「時間」や「生命」などに共通したものが「時価」にはある。いや、あると直感している。「時間」と「時価」とは文字からして似ている。「時間」と「生命」とはこれまた切っても切り離せない。それがこの本でも分る動的平衡である。
動的平衡だからこそ、つまり時間的な折りたたみの上にあればこそ、たんぱく質が集合しただけの物質が生命をもたらす。したがって、部品としてのたんぱく質を集合させても生命は生まれない。「生命」とは「効果」である。
「生命」と「時価」。これも直感がそうつぶやくように関連がありそうだ。単に命の価値ではない。
先に生命は動的平衡といったが、この動的という言葉にも引っかかる。時価は静的時価と動的時価があり、静的時価はほとんど問題にならないのに対して、動的時価は様々な面で問題となっている。
卑近な例が、譲渡時の時価は動的時価である。捕らえられない時価をどう捕らえるか?それは、生物の定義が捕らえられない中で生命を捉えようとしている生物学に似ている。
福岡伸一博士の前著『生物の無生物のあいだ』でも論じられたウイルス。もはや生物といえない生物のような物質。物質のような生物。さらには、ウイルス以上に生物らしからぬ物質、プリオン。
これらへの興味が私を「時価」へとも誘うのである。これがマージナルマン(境界人)たる特異性を有する私のアイデンティティーであることも、最近分ってきた。だからこれらの知識の習得にも力を入れている。これこそが、秘訣であるが、それは中々理解されない。無論、理解されようとも思わない。むしろ秘密にさえしていて良いのである。
しかし、私が話しても誰もやらない。ところが、先日真似したいという方が現れた。懇親会の席で、そう仰られたのである。実はやってみると判るが、これが出来そうで出来ない。だからこそ秘訣なのである。
先の、Web講演でもそうである。パフォーマンス概念の導入によってマージナルマンとなっているのである。したがって、私の仕入先は科学・芸術・映画・演劇・音楽・文学なども何でもと言えるほどの範囲で、自分のアンテナが「!」と来れば、それが重要な要素仕入先となる。当然、そこにはマンガすら入り、それが4駒マンガにも生かされることになる。
本を一つ書くにもそうである。一番大変なのは「営業」である。今日では幾分実績が出来たので楽になって来たが、それでも申し出れば出版できるというものでもない。そして営業には無駄が多い。コストが掛かる。その営業は飲み食いすれば受注できるものでもない。やはり、コンテンツであり、アイデアであり、マーケティングである。さらに出版社すら気付いていない非常識なノウハウをぶち込むことでヒットに繋げる。
それらは映画製作に似ている。かつて、映画を作っていた経験なども、活きる。だから「映画は総合芸術である」といわれる様に、監督だけでなく、プロデューサーの力も重要なのである。だからこそ、中々真似が出来ない。だから私も社交辞令のように「頑張って下さい」とも言わない。言えば、思わず「ご愁傷様です」とさえ言いかねない辛さがあるから、それがポロっと出掛かるのである。
だから或る研究会で共同で原稿を書こうというときは、それが非常に困難を伴うことを経験している。私には、心の許し合える2人以上の共同企画であっても、断るようにしている。そうでない共著なら、単独章を任せて頂くことで、全体の編集はしないようにしか参加できない。
午前に蘇生作業をしていた水子原稿が良い例である。未だに成仏できないでいる。いや成仏させてはならないと信じている。
「動的平衡」の中でも出てくる。『後に画期的で正しいとされる学説が、なかなか発表の場を与えられなかったり、発表後に評価されず、異端扱いされることはよくある。』この記述は、「私たちの体内にいる別の生物」についての論文が15回もボツになり、ようやく16番位くらいの科学雑誌にかろうじて掲載され、それでも『やはり、その学説が当時の生物学の常識を大きく超えていたから』批判され続けた。
私には、痛いほどそれがよく判る。体感しているからである。
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今日執筆した部分の図解を試み、「会社の星」を聞きつつ入浴後、6月の講演主催者からのメールに返信して午前1時半就寝する。