7時40分に起床して4時に寝たものの、累計で5時間以上は睡眠を確保しただろう。MDの整理とチェックアウトの準備して、珈琲を淹れて飲みつつ、残る中途半端な時間を、人材紹介会社の調査をして、中部経済新聞の原稿を書く。今回のテーマは債務控除だ。
10時にチェックアウトして、出版社に向かう。途中移動中に歩きながら調査中の社長と電話で打合せ、最後は出版社の玄関の前で社長の決心を伺い私も賛同する。
10時半から出版社で小1時間打合せをする。仮題も固まってきた。
雑誌編集部の新しい担当者の方とも名刺交換させて頂いた。
*********************
10時25分なので、地下鉄を乗りついで、上野の国立博物館に向かう。上野公園は初めてで、途中木漏れ陽の中を歩き、正岡子規記念球場を左手に見つつ、突き当たりまで進むと国立博物館である。現在は阿修羅展が開催されているのであるが・・・・これが大変なことになっていた。
入館制限で、待ち時間が80分との表示である。時刻は12時5分となっていたので、これでは新橋での研究会の開会時間1時半に間に合わない。5分ほど悩んだ。6月7日までの展示会の期間に上京する予定は今の所はない。
奈良に戻ってしまうと、阿修羅像の横や裏は見れなくなってしまう。ひょっとすると一生会えないかもしれない。研究会を遅刻してゆくか?迷う。
しかしとうとう諦めた。500m歩いて今度は上野の公園口から新橋に向かう。今朝、朝一で行くべきだったとか、昨日の日中に行くべきだった・・・と反省するも、まさかここまでの混み様とは予測できなかった。研究会の後では、既に閉館している・・・・何とも口惜しい。このためだけに上京するのも口惜しい。
*************************
山手線の中で考えていて、「災い転じて福となす」ことを考え、見事にそれに気が付いた。昨夜の事業承継の展開からして人材紹介会社との交渉をしておかねばならないかと考え、新橋駅で降りて、プラットホームから次の浜松町にある会社に昼食時間中ながら電話した。場所は、昨夜の内に調べておいたが詳細な所を電話で確認する。
幸い担当取締役がみえるとのことで、アポを取り、次の研究会までの時間がないから、自分の昼食は後回しで打合せにむかった。18階のオフィスについて、半時ほど打合せし、再び山手線で新橋にもどり、SL広場のマックでハンバーガーと珈琲を買い込んでから会場に飛び込む。
会場でハンバーガーを食べるのと満員電車の中で食べるのとは似ていて、迷惑千万なことである。その強烈な臭い・・・エレベーターホールに出て行って頬張る。
1時から再生研究会が始まる。時価ガイドラインの裁判例を検討するテーマから始まって今回もエキサイティングな内容が続き、1時からぶっ通し!のパワフルさで後藤先生の熱意が伝わる!
****************
ところで、1時開始直前に、営業展開していた出版社から2週間も速く、返事が届いた。
“企画採用”である!!驚きだ。2006年11月にボツになって以来だから2年半ぶりに復活したのだ。この原稿を書くためにホテルに缶詰が50泊以上したかと思う。
ボツになってから、次の原稿の執筆で多忙を極め、営業も限定的に、しかも消極的にしかできず、ほとんど放置状態だっただけにラッキーである。
5時までの再生研究会を終えて、懇親会は近くの地下の居酒屋で2時間半余り盛り上がる。共著のメンバーと打ち合わせしたり、先生に考えていることを聞いて頂いたりとして有益だった。こちらも情報提供を努めて必要なメンバーたることに努める。
3次会は、タクシーで赤坂のANAインターナショナルホテルのバー「ダビンチ・コード」に10人弱が集う。最近会っていないメンバーが到着するのを待つため8時40分とした新幹線の予約を最終に変更し、妻にメールを送る。
9時半に赤坂からタクシーで共著のメンバーと共に東京駅まで行き、そこでお別れして、間際に開いているお土産の店で買い物をして、10時の終電に乗る。名古屋までの1時間半余りの間に、長文になるメールを4通書く。あっという間に時間が経過する。
0時半に帰宅、入浴、諸整理して1時半過ぎだったかに就寝する。