7時起床し、天候不安で、次男の文化祭のためのコンポ運搬のため送る。戻ってやっと、数日前に届いたHPの更新に関しての返信を書く。
エコカー購入に関してホンダの店長から電話があり、日程を打ち合わせ、9時半から11時前までにP原稿の表紙について社員の意見を聞いて、修正し、修正したのを再三、出版社に送る。
そして電車の中でも考える。そして、その販売計画のMプランも企てた。さらに、今日からそれを実践することを計画した。
11時半に地下鉄の途中でQBに立ち寄り、45分に再び乗り、12時過ぎに名古屋大学に到着する。今日は余裕があるので、生協に立ち寄る。しかしロッテの「ゼロ」は既に定番から外されていた。
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書店部でじっくりみると、拙著の最新版も新刊として陳列があって驚いた。民法上の時価について確認をして、30分余り物色して2冊を購入し、『天地人』の「天の巻」の巻頭文をメモした。26日の講演の際には、まだ調べていなかったので話せなかったのである。それは・・・・『北越軍談 謙信公語類』の一節で・・・・
『輝虎(謙信)公曰く。天の時、地の利、人の和ともに整いたる大将としうは、和漢両朝上古(じょうこ)にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし。』
「この謙信の言葉には、さらに語源があり、2300年前の孟子の教えからきたと言われている。謙信に仕え、薫陶を受けた直江兼続は、「義と愛」とともに「天の時、地の利、人の和」という言葉も深く心に刻み込んだのではないだろうか。」とNHKのHPにも載っている。
孟子曰はく、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」として、人の和がもっとも大切だと言ったと言われるが、三国志では、善玉の劉備元徳が勝ち残らず、悪名高く、有名な曹操が、結果として勝ち残った。これは、曹操が、後漢の天子を擁し(天の時)、中原の地を制し(地の利)、優秀な人材を集め適切に配置した(人の和)が勝因であると言われている。
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講義室に入って、アタッシュケースを広げて、本を出していて驚いた。ゴキブリが居たのだ。しかし、死んで干からびている。可哀想に?、アタッシュケースに忍び込んだ結果、出られなくなってしまったのだろう。
名古屋大学法科大学院での2回シリーズの2回目の3時間講演は、まさに出版しようとしているP原稿を読み直すかのように・・・当初書いた時の気持ちを呼び起こすようにして、講義した。
4時半終了して、本会のある、池下で下車して、担当者がいるか改札を出る前に電話で確認してから訪問して、挨拶とこれまで中部経済新聞に連載してきた原稿の書籍化に対して、新聞社に了解を頂かねばならないだろうと、新聞社の担当者をお教えいただいた。
再び、電車に乗って、名古屋駅では、地下の三省堂で、P原稿とその続巻のための企画に必要なコンサルタントの本を買った。
JRでそれを読みつつ、研究会の開催される岐阜駅で下車する。6時から7時半まで、民法相続篇の勉強会をして、玉宮町のほのぼので懇親会を開く。昼食を抜いていたので、少々食べ過ぎたか?しかし昼食を食べていても同じだったろう。ただし、禁酒を通した。
10時過ぎの電車で岐路に就き、コンビニで摘みなどかったが、今夜は飲酒を我慢した。入浴後、メールをチェックすると、出版社からタイトル案が提案されていた。正直、がっかりした。一度に疲労が溢れてきた。提案が受け入れられない方向である。
書名については、出版社の権限が強いから、最後は弱い。どうしたら良いかずっと考える。午前2時半過ぎ就寝する。