7時起床で、いつもの朝のお勤めをしつつ、これから行く3軒の店の開店時間を確認して、新幹線の予約変更をする。
8時45分にチェックアウトする。朝刊は有料なのに『日経ビジネス』(650円)が無料という面白いホテルで、丁度、読みたかった記事を往きの電車の中釣り広告で見ていたのでラッキーだった。まあ、いろいろあったホテルだが、安いし便利なので、次回以降も定宿の一つにしようと思う。
********************
丁度ラッシュの時間で、大森駅に降り立つ人の波は凄い。大森から東京までの間に、論文構想を練り、9時10分過ぎに東京駅到着で、八重洲口の大黒屋に立ち寄ってから、丸の内側に渡り、オアゾで書籍を探す。
しかし、検討するも新たな目ぼしい本は見当たらなかった。ここで9時55分。再び八重洲側に戻り、丁度開店時間となった大丸の地下街で妻から要望のあった長男所望の穴子寿司巻を購入して、10時5分。
朝食と昼食兼用の、好物のメンチカツと千切りキャベツを買って駆け上がると、10分発の「のぞみ」に間に合う。キャリーバッグの調子がどうもおかしい。ここ数週間に亘り、部品の破損が続いているが、立て続いていて、引っ張っていて度々つっかえる。
***********************
予約の1本前の自由席である。どうする?乗るか?予約通りの20分発にするか?を迷う。急ぐには理由がある。
1時半までに帰社して社員と同行しなければならないし、まさに崩壊寸前のキャリーバッグを買換えねばならないが、買い物に行く時間がないので、この帰りに名古屋駅のいつもの店で買いたい。そのための時間も取りたいから一刻も早く帰りたい。
予約の12号車から1~3号車まで移動して空席を確認するため、ホームを急ぐ。ギリギリの時間、間に合えば乗ろう。間に合わねば運動だと思って諦めよう。
どうにか間に合って、2号車の定番席に座れた。座ってから考えた。東京発は自由席が先頭で、いざ事故になればひとたまりも無い。しかし、今ならいいだろう・・・・。
大きな原稿は脱稿できた。今なら悔いが残らない。社員も先輩の会社に合併してもらえば、厳しいだろうが、今のお客様と共に救えるだろう。不謹慎な話だが、新幹線事故で死ぬのなら、補償金で家族も大丈夫だろ(?)などと考えていた。
************************
新幹線の中で、12月の忘年会の日程変更の連絡が関係会社から届き返信し、先輩からは校正日程を至急知らせてとのメールに、早速、日程を組み立てて返信する。
名古屋駅のハンズで買うことにしているキャリーバッグを僅かの時間で買い換える。同じ種類のバッグよりは消耗品と考えて、半値ほどの新しい種類にしてみた。二つのキャリーバッグを引きながら帰る。
帰り道、キャリーバックのどこが引っかかるのかを見てみると、車輪の軸受けのねじが馬鹿になっていて、外れかかっていることが原因であった。これに先立って、前輪と後輪をつなぐ、金属棒が相当前に折れて、先日とうとう、取り外すに至ることで、支えを失い、振動からねじがぐらついてきたのだった。
帰社して、着替えて、1時半に社員と同行して決算訪問する。岐路に申告書の提出などをしつつ帰社する。丁度、町内の赤十字の募金があった。私が健康診断しているし、お客様も入院してお世話になっているので、100円玉10個を入れた。
**************************
夕食後、『クローズアップ現代』で、車部品の電子化の様子を見る。11月の予定を検討し、奈良の阿修羅像を見る日程を探す。ガラスケース越しではない本堂での展示は11月23日までだ。
丁度、新幹線の中から校正日程を送った先輩からの日程の都合の返事が来た。それに合わせて、校正日程を入れると、連休中も殆ど余裕がない。行くなら校正前だ。
そこで、今週の天気予報等を検討すると、11月からは天気が不安定となり寒さも来る。しからば空くのは明後日だ。カーナビで所要時間を調べれば3時間余りと割り出し、それをもって決断して、妻に相談する。
もちろん、それでも当日の体調如何である。
************************
慶應の学友から毎月のレターが届いた。今月はテニスの松岡修三氏の話だ。早速読んで感想を送る。さらに、今回は驚きのメッセージが後で送られてきた。執筆活動や経営構築のため暫く発行休止とするというのである。よくぞ決心された!とエールを送る。
選択と集中は時に非情に行わねばならない。熱くしかも冷静に・・・この両立がなければ、「選択と集中」は地獄への片道切符の「選択」となり、それに向って「集中」することから「地獄へまっしぐら」となり、自ら墓穴を掘ることになる。
恐ろしいことなのではあるが、果敢にその「選択」をし、信念を貫き、折を見て変化させ、対応させ・・・バランスを取ってゆかねばならない。まさしく阿修羅の世界である。修羅場を潜り抜け、成功を祈るばかりである。