多忙に追われて床屋にも行けていない。しかし、これから講演が続くし、もうこれ以上伸び放題では拙いと、山口への出発を遅くして9時に栄のいつものQBハウスの朝9時一番の客となった。
改札を出ることなく、名古屋駅に戻る。・・・と当然、自動改札機に入れるとエラーとなる。駅員さんの所に行って訳を話す。往復かと思うと、何と、片道だけだった。へ~っと驚いた。
待合室でブログを書き、9時53分の「のぞみ」で久しぶりに西に向かう。出版社と東京のお客様の先生にメールを書き、『WEDGE』を読む。
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今回の記事では永谷園の即席みそ汁「一杯でしじみ70個分のちから」の存在と、その開発の舞台裏を知る。
さらに、感動したのはワイキューブの安田佳生氏の『ルールが変わるとき 世界の中心で世界を叫ぶ』であった。その文章力に舌を巻いた。そして、そうだこれだと思った。
以下、要所を引用すると、『そもそも、日本に未来がないというのなら、いったい世界のどの国に未来があるというのか。これほどまでの技術力と勤勉な国民性、独自の文化を兼ね備えた国が他にあるといのだろうか(中略)これほどまでの多種多様な可能性を秘めた国を、いったいどのような理由で見限るといのだろうか。見限っているのではなく、見えないのだと思う。それは日本という国が先に行き過ぎたからだ。(中略)資本主義社会の常識だけをベースに、日本の未来を予測することは不可能だ。(中略)消費者はただ単に消費することをやめ、一人ひとりの価値観でモノをあるいは企業を選択しつつある。仕事選びや会社選びの基準も待遇や知名度だけではなく、仕事そのものの価値や企業の存在意義を重視する傾向にあり、単なる損得ではない判断の基準が確実に生まれつつある。稼ぐ、貯める、所有するという資本主義社会における価値基準が新しい社会においては重要視されなくだろう。(後略)』
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12時半過ぎに新山口に到着し、湯田温泉までのダイヤを調べ、僅かの間に駅前にある講演会場の山口グランドホテルを下見する。しかし、丁度、結婚披露宴をしていて入れなかった。
12時53分に在来線の特急で湯田温泉まで7分程だ。下車して特急料金を支払い、おいでませ通りを10分程歩き、湯田温泉のメインストリートに出る。観光案内所でバスの時間を確認して、今夜の宿泊先の老舗の松田屋ホテルに向かう。
チェックインは5時なので、荷物を預け、バスの時間までの小半時をロビーでメールとブログ書きで過ごす。
1時48分のバスに乗る前に、向かえの土産店でこの地方の名産の外郎(ういろう)の一口サイズのそれを買い、昼食代わりとして早速バス待ちの間に立って食する。
バスは40分ほどで、秋芳洞バスセンターに到着する。ここから秋芳洞まで数百メートルの間の商店街は、鍾乳石などの石を土産に売っている。今日は日曜日なのに閉まっている店が多い。観光客はまばらながらある。要は、オフシーズンなのである。恐らく夏がオンシーズンなのであろう。
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1,200円の入場料を支払い、入ると思いの外、暗い。眼が慣れても・・・である。それが却って神秘性が高まるのかも知れないが・・・
見所になると、ガイド放送が聞ける施設が便利で5か国語程が選択できるようになっている。
天井の岩の怖いまでの威容。幅は最大のところの千畳敷の場所で100m近くはあるだろう。百枚皿の場所では写真では見慣れたものの悠久の時の流れに感嘆の声が洩れる。
鍾乳石は数cm伸びるのに数十年~数百年かかるという。この秋芳洞では、その中間ほどの年数なのようであるが、いずれにしても気が遠くなる積み重ねの結果である。
昭和38年かに出来た奥の支道では、幅4mと言われる黄金柱の鍾乳石が天井まで貫く。最後には数mある岩窟王と呼ばれる石筍。ここで終えて、トンネルの坂を登って出口に出る。
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バスでバスセンターに向うまで四半時あるので、歩き出したが、もう一生ここには来られないという気持ちが再び持ち上げてきて、折角ここまできたので・・・と追われる原稿や様々のことを振り払って、秋吉台に徒歩で向う。
1時間早くバスセンターの3時54分のバスに乗って帰って、原稿に向う予定をしていたが、当初の予定通り4時54分に乗ればいいやと割り切った。これなら、旅館のチェックインタイムの5時を過ぎた5時半に入れる。
徒歩の近道との札がある山道を歩く。流石に近道というだけあって、結構きつい。汗が出る。今夜のご馳走があるし、その消化の為にも、事前に体重を減らすいい運動だと考えて10分ほどの山道歩く。
木々で見えなかったが、展望台が近付くと、やっとカルスト台地が見えてきた。小学校の教科書以来、その名前だけ知っていた秋吉台。
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観光写真では新緑の時期の青々とした風景だが、この日は枯れ草色の台地であった。もういいかと思うときに、先程の秋芳洞を出てきたバスが来たが、バス停が分からず、乗ることが出来なかったので次のバスにすることにした。こんなに、まだ明るい時間なのに、結局、あれが最終バスだったことが後で判る・・・。
2階建て程度の展望台に登る。アベックの記念撮影を、こちらから声を掛けて撮ってやり、一時を風に任せる。降りて、秋吉台と書かれた石碑をバックに、今度は一人で携帯のカメラで撮影し、1時間ほど後にこれを妻には初めての写メールで送ることになる。
さあ、もう次のバスが来るかも・・・と、先程に見下ろして場所を確認しておいたバス停に行って見ると、あらら・・・もうない。仕方がない、歩くことにする。幸い、小春日和の天気で風も殆ど無い。翌日が雨になるのだから、最高の日に来れたことになる。
途中、秋芳洞の支道の分岐点にあるエレベーターの地上駅の所に到着した。このまま、バスセンターまで、同じ様に十数分以上は歩くのだが、既にカルスト台地は無く、只の山道だし、歩道もない舗装道路では却って危ないこともあろう。
そう決して、エレベーターで秋芳洞を逆方向に歩いて帰ることにした。岐路の入場料は100円である。エレベーターは何と、80mも降下し、メガネが曇る。
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そう言えば、メガネのことを思い出した。新調して受け取ってないまま、メガネ店へのクレームの電話を掛けてから、もう一ヶ月ほどになる。いかにも遅い。放置され続けている。
しかしコチラは別に慌てたことはないが、店の方も、これだけ待たせるならば本来はどう対処すべきか・・・答えは明らかである。しかし、こちらから言うことでもない。どうされるか、良識を見極めるだけである。
逆向きに歩いてバスセンターに戻る。自販機で思わず、ココアを買って飲む。ここで妻に写メを送った。「一人だけ遊んで!」と怒られるかも知れない。しかし、そんなことを隠しておくことでもない。激務の間に、行ける時に、行ける場所に、行き、英気を養い、全体をバランスさせて、人生を豊かにすることは欠くべからざることである。
もちろん、そのバランスを保つことが条件だが、それでも結果的に失敗することもある。じゃあ、「あの時、遊ばない方が良かった?」これは何とも言えない。後解釈では神様になれる人生では、あらゆる失敗は、後から、「ああ、あの時に、ああして置けば・・・」と思うだろう。
その後悔をしないためには、一切、休憩も遊びもない無表情な人生となり、結果的に人生は敗退的になってしまうのだ。だから、後ろめたくなく、こうして送り、こうして事実をブログにも書く。
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4時54分のバスに乗り、往きと同様、原稿を推敲するも、流石に疲れてウトウトする。5時45分頃、湯田温泉通りに到着する。
ついでに中原中也記念館がすぐ20m先なのでそこを見てから・・・と歩くが既に閉館時間だった。しかも明日は休館日との表示が既に出ている。あらら・・・1時間早いバスに乗れば間に合ったものの・・・と残念がった。
中原中也は、高校の現代国語の時間に初めて親しんだ詩人である。しかしそれ以来、まったく進んでいない。だから、まあ諦めもつく。
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旅館にチェックインする。本館2階の部屋に通されると、典型的旅館である。しかし旅館の正式名称は「松田屋ホテル」である。和洋折衷のところがあることは分かる。まあ、本館は少なくとも純和風である。
仲居さんが夕食の時間を問われたので、計画を知らせる。6時前だったから入浴して、通常なら即夕食であろうが、まず原稿である。8時からの大河ドラマを鑑賞するので、一人旅だから、そのついでに夕食とした方が効率が良い。
そこで、最も大きな大衆浴場の岩風呂に入る。いい湯である。しかし熱い!43度位であることを翌日知る。逆に洗い場のお湯が温過ぎて、湯船のお湯で流すことになる。日曜の6時台ということもあって、私だけで独占である。
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部屋に戻って、構想を練る。8時前に仲居さんがやってきて、部屋食の準備が始まる。食しつつ、8時から『龍馬伝』を鑑賞し、焼酎のお湯割りを頂く。山口は日本酒が美味しい所であるが、敢えて酔い加減とダイエットの要請などから、焼酎にしたのだ。
この旅館は、維新の志士達が集った宿であるし、翌朝に見学することになる維新の三傑の会談の行われた場所でもあるから、そこにあって『龍馬伝』を見るのは中々おつなものである。
料理は、ふぐなど地元の名産もあり、豪華で美味であった。焼酎も仲居さんのお勧めが上手であることも手伝って3杯も飲んでしまった。
食後、1階にある維新資料館を見学に行く。ここで高杉晋作の「憂国の楓」の現物を見る。大正時代に偶然発見されたものだと言う。
明日の講演構想を練りながら、当時のままとの「維新の湯」に浸かり、これまた独占であるからカラオケルーム代わりに歌を歌う。
酔いも回っているし、昼間の歩き疲れ、湯疲れもあって、11時過ぎだったかに早目に就寝する。明日は、7時に朝食を持ってきて貰うよう仲居さんに頼んだら、これまた驚かれた様子だった。まあ、変った客だろうな~確かに。