6時過ぎに3泊したホテルで目覚めS、7時過ぎにニュースを見つつブログとメールをし、7時45分から『ゲゲゲの女房』をBS2と総合で今日も2度見をしてから朝食に向い、新聞チェックする。
荷造りして、BGM装置の空箱は捨てることにし、防臭スプレーの空き缶は元より歯ブラシやテッシュでキャリーバックに溜まった物も捨てた。そうしないとBGM装置が入らないからである。お陰でバッグはパンパンになった。
溜まってしまったお中元の礼状を数通書いて、何とか書き終え9時45分にチェックアウトする。
駅前ポストで投函し、高田馬場から大手町に向い、オアゾで初めて新刊の陳列を確認した。しかし第1弾とのペア陳列にはなっていなかった。
新幹線の乗車券と大丸でいつもの穴子巻きと昼食用のマイ泉のメンチカツを買いながら、当初予定の新幹線を40分早いのに変更して乗車する。結果的に、チェックアウトを早くしたこととこれが良かったことに繋がる。
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長男と妻に帰宅時間を知らせる。新幹線の中では、昨日までの2日間の講演での名刺交換した先生方にお礼メールを書く。
自宅に戻って長男への穴子寿司を冷蔵庫に入れたところで、娘が駆け上がってきて緊急事態を伝える。玄関先に妻が彼女の両親を乗せて停まっていた。父が脳梗塞のようとのことでこれから市民病院に行くとのことで一緒に乗って欲しいとのことだ。
とりあえず、私は、車から完全に荷物を降ろしていなかったが、PCや貴重品のみ持ち出して同乗する。
こういうときの妻の対応は素早いし常に適切である。私が戻ってくる少し前までに、両親の家に駆けつけ、2つの病院に電話などして対処を検討し、市民病院に行く決断をしていたのだ。
この時点では、熱中症が引き金ものと思っていた
救急受付で診察を受ける。問診の結果、CTの必要があると診断され、さらにその後、頭部に血液が溜まっているという説明を医師から聞き、緊急入院、緊急手術となった。
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このため、丁度この時間で開催されることになっていた、地元の研究会である東海税務法務研究会の100回記念例会に例会開始時間の2時半直前に欠席の電話をすることになった。
その後、上記の診察の結果、手術をするため、手術室に見送り、ただ待つしかないし、手術自体は脳のそれであるものの、現代医学では比較的大事(おおごと)ではなさそうで2時間前後で終わるらしい。
ということで、100回記念例会後の、5時40分集合の記念宴会には、参加でそうだった。
妻と義母が手術が終わるのを待っていてくれることもあって、私はタクシーで長良川を目指した。
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今日は、年に2度ある長良川の花火大会である。これまで花火大会と鵜飼とはそれぞれ別に体験することはあった。しかし、同時には経験がない。それが普通である。何せ何十万人の花火鑑賞客の内、この日に鵜飼舟に乗れるのはたかが知れている。今回の手配は、メンバーのA先生のコネと聞く。いつもながらのお顔の広さに感服だ。
花火の会場へは大渋滞が常である。たまたま市民病院の前で拾ったタクシーの運転手が優れた人で裏道を掻い潜って、殆ど渋滞に巻き込まれること無く鵜飼乗り場に横付けてくれて、定刻通りに到着した。こんな時こそ、彼の腕と能力にチップを弾むものであると紳士なら知っている。
私が欠席した例会からこちらへ移動してくる会員は渋滞に巻き込まれて相当遅れてきた。その間に2人の浴衣姿のコンパニヨンと話したりする。先のメールで今回の予算の知らせを受け取ったときに、浴衣のレンタル料まで払うのだと初めて知った。
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鵜飼舟の中の食事は今回は贅沢にも鮎がフルコースで入っていた。これまでの鵜飼の中でも最も贅沢なコースである。
花火が始まると、意外に遠い所からしか鑑賞できなくて残念だった。しかも、私の背中方法に花火が上がるのでやがて疲れてきて、舳先で寝転んで鑑賞する。これが船の木の香りと波のチャプチャプ音で風情があった。
9時前に花火を終えると、帰りは一斉だからさらに大渋滞となるのが常で、だからヤナガセまで数キロを徒歩でT先生と話しながら弥八地蔵まで汗だくで歩く。
本当は、ここでご無礼するはずだったが、くだんのA先生の手配が行き届きバーの席を確保して頂いた。これまた初めての店で、9月に大阪からのお客様を招いた時に使う店を探していたので、下見を兼ねて付き合うことにした。
ここで、ギネスを飲む。政治談議に発展して驚いた。私はこれではいけないと思いつつも政治音痴で、まして酔っ払っている。
小一時間いて、タクシーで帰宅すると、家人はすっかり寝入っていた。恐らく義父の手術は無事終わったのだろう。心配しつつも妻を起こしてまで聞くことも無かろうと、シャワーを浴びてから就寝する。