一日、レジュメ構想に当たった日だった。しかし、朝、昨日の秋雨が上がり清々しい天気ので妻を連れ出して事前に検索していた「多治見茶碗祭りに行こうか!」と言いに、朝食に行くと、作り終わってから寝ている。
体調不良で言い出すのを諦める。原因は、数年来続いている更年期障害なのだ。この病名を再び検索し彼女に渡す。
安藤忠雄の「主張する建築物」の意味に自分の講演を重ねる。
安藤氏が、ある自分の設計の建築を説明しつつ『良い面もあるけれど、悪い面も一杯ある。快適で美しくて住み易い家。そこには家が語り掛けてくるものがない。で、私のように語り掛けてくるものがある家を造ろうとするとみんな反発食らうじゃないですか。そんな家、いらないと・・・。だから評判悪かった。でもいいじゃない。ここが狭かったら面白くないじゃないですか。』
『住まうとは厳しいものだ。私に設計を頼んだ以上、あなたも戦って住みこなす覚悟をしてほしい』と氏は言うほどに、例えば雨の日には傘をさしてトイレに行かなければならないほど住み難い建物なのだ。寒ければ一枚着る。暑ければ脱ぐ。夏は裸で居る。そんな覚悟が必要なのだと言う。
そんな家は、1980年日本建築学会賞を受賞していて、氏の名声は一気に高まった。
氏の事務所もそれを実践していて、吹き抜け5階建て。だから響き渡る氏の怒声。その1階入り口の冬一番寒いときには振るって仕事し、風邪をよく引くという。有言実行である。
『子供は子供の時に“子供をする”ということが豊かなことなんです。泣きたい時には泣く。喧嘩する時は喧嘩する。喜ぶときは笑う。これ人間の原点と違う?』
『遊ぶ時間というのは人間の自由なんです。自分の思いを行動に移す時間。だから我々仕事でいうと、こういうものを創りたいと発想する。どうして作るか?考え、どうして作るか行動する。相手のいうこと(コスト・敷地などの条件)を整理するだけが仕事ではない。自分の思いの丈を創る。自分のやりたいことをすると相手がいやがる。相手の思いと全部が合うわけじゃない。それもいいが、私にその能力はない。』
そうするとお客様が減るんじゃないですか?との質問に『ええ、減ってますよ。しかし今の(一般の)作り方では今の社会は生きれないと思っています。』浮上に意味深長だ。
『仕事は喧嘩ですからね。まず、クライアントとの喧嘩。で、建設会社との喧嘩。そして自分の創造力との喧嘩じゃないですか。・・・・勝負やな。』
安藤は常に闘っている。『大阪人は全国一嫌われている市民ですから。まず厚かましい。よく喋る。声、大っきい。常識が薄い・・・』
自由の表裏として責任がある。『だいたい建築て、責任感がないとクライアントは来ない。他人が2000万円貯めたお金を任せるんじゃないですか。全財産じゃないですか。それを受持って走るわけじゃないですか。俺はこういうことをしたい!という思いに、こいつと一緒に仕事したというクライアントが出てくるんですよ。その気持ちが続くか続かないかに掛かっているんです。それをひっくるめて責任感と・・・。今の若いヒト、事務所に居るけど、無我夢中でやっとらん。まあまあしか働かん。そして、まあまあしか責任感果たさない。「四六時中やってみろ!建築やってみろ!」と言うと「いや、事務所をでたらオフになりますからという。ああ、そうですか・・・。子供の頃からねオフの無い人生やらんといかん!』
安藤氏の手帳は私のそれに似ていてぎっしりだ。
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『ディープピープル』のソフトバンクの馬原(まはら)孝浩はリリーフピッチャーとしての準備は入念な準備であることに敬意を持つ。
当番が続くと体のバランスが微妙に狂ってくる。それを毎日1時間近く掛けて整える。試合開始までその日の体の調子を入念に確認する。
初めてブルペンにカメラが入り、その様子を伝える。まるで明るい死刑囚の控え室だ。執行があるまで準備を入念に仕上げる・・・。コールが掛かると「自分の世界に入り込んで出てゆく」と馬原はいう。そこに当然、自分(私)を投影せざるを得ない。
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3時から、妻の更年期障害について調査する。ビデオ・書店も調べる。5時から夕食で、その後、レジュメ作成が10時まで続き、就寝する。