5時から、4刷が決まった従業員持株会の本の誤植を修正し出版社に送る。修正しながらNスペの『ゲーム革命』をチェックする。かつての日本の勢いは無くなっている事実を知る。
今夜の専門家研究会の資料を準備する。最近体験した著作権侵害事件から、どう「加害者にならないか」をテーマに日頃執筆することの少なくない専門家の方々に注意点を喚起した。
多くは著作権に対する知識の無さから来るからだ。無料ダウンロードの相当な割合のものが著作権侵害であることを知らない人は多いことのように、知らず知らずの内に犯罪を犯してしまう危険を説いて、加害者・犯罪者にならないように、どういうことが問題になるのかを被害者の立場で説明した。
配る資料は慎重に検討した。これまでの被害を受けた事案は全て解決しているので、和解を崩さないためにも資料を回収したり、現物を見せることは表紙だけにしてと苦心する。
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研究会の後半は、同じく著作権がらみで、PCソフトの違法コピーでマイクロソフトから訴えられたお客様の実例の報告を聞く。これまた身近な問題で聞き耳を立てる。
ここにも「それが何故悪いんだ!」と開き直る無知が存在している。
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この後、研究会としての忘年会が開かれた。ここで数年前だったかに会議所を退職されたOさんが特別参加された。
Oさんは、非常に大局観のある方で、会議所に置いておくには勿体無い人材であった。今夜も薀蓄ある言葉をうかがうことが出来た。それは「会議所は腐っても鯛」というお言葉である。色々教えられることが多く、私にはない切れる方である。
「腐っても鯛」は事実そうである、だからこそ、自分のブランドを確立した今、再び専門家研究会などに属しているのである。
実は、Oさんが退職される前後、特に前にあっては大学と大学院で没頭することで実務を殆ど離れるほどの集中を行ったため、すっかりOさんとは離れていたため、同氏はこれを多少なりともご不満だったこと、今回の忘年会の中の言葉で知った。
実際、1998年のディベート準備から始まる刺激で、大学に学び、さらには大学院、そして毎年のような出版とこの十数年は激変した。それと同時に、その時点で、メインでないもの、選択したドメイン以外のものをズバズバとリストラし、諦めたもの、絶ったもの、失ったものも多い。
それは自分自身へのリストラで、当然痛みを伴うものだった。それらはつい先日の18日のブログで書いた通りである。
あるものを得ようとする時、失うものも少なくないというのはこんな所ににも現れる。Oさんの言葉は、離れられた者からの言葉で、寂しさを感じるとともに、変化に適応する経営の判断である。
特に執筆に携わることになる大学院卒業の後の、リストラは甚だ異常な程で、その異常さは、それが出来たから今の自分があると断言できる。
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飲み会の席はいろいろな人間模様が交差するものだ。そこに思惑も生ずる、まさに人間劇場である。
各務原のIさんも見えていたが、この席上で酒を酌み交わすことなく中締めとなったので退席される時にやっと声を掛けた。
A先輩の気持ちを垣間見た気がするのは、そればかりでなく、先の講演に来て頂いた方が今夜は余り話さないことだった。先輩というものはそういうものなのだろうな~と寂しく思う。それは先のOさんと同じなのかも知れない。それは私だけの憶測であるが・・・
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この日は、まだ仕事が山積しているので、ノンアルコールで過ごしたため自動車で帰宅する。
忘年会で遅くなると明日の早起きはできない。そのついでに、動画ソフトのインストール作業や動作確認などを行い、WBSではミラーレス一眼とリセッションバスターズを見る。ここでやっとワインを飲んで1時半過ぎの就寝となってしまった。