震災の翌日に私は非常時のリーダーシップを発揮すべし!と発した。
今日、私事の一段落を受けて、危機管理の専門家である佐々淳行氏のコメントを聞くことが出来た。それはまさしく、非常時のリーダーシップであった。
岐阜市内のホームセンターでも懐中電灯と単一電池は品切れ
「クライシスマネジメント(危機管理)ではなくて、マネジメントクライシス(管理危機)が起こっている。」と氏は言う。続いて氏が、ニューヨークタイムズが非常に高い評価をしていると伝えた。
「日本人のガバナビリティ、非統治能力と訳していますけれども、実に驚嘆すべき立派な態度ですよね。奪い合いもなきゃ、皆整然と・・・東北の方だから、余計、辛抱強いのかもしれませんなぁ。物凄い賞賛です。と同時にガバナンスがなっていない。全然信用できないというのがニューヨークタイムズの記者(の話)」で、これは12日のブログに書いた通りである。
非常時のリーダーシップ、それは具体的には、佐々氏が教示してくれた。
現在は「災害対策基本法」に基づいて動いているが、これは自治体の上に、その要請の元に行っているが、自治体自体が津波で流されて不在で、自治体からの要請すらもできない。
これは“経済戒厳令”に過ぎないのであって、そのトップは海江田経済産業大臣で、その下部に原子力安全保安院で、これらの人は、専門家であっても危機管理には適さない。
「安全保障会議設置法」に切り替えなければならない。これを適用することで、国家公安委員長や官房長官が指揮を取る体制になる。そうすると自衛隊・海保・警察・消防を総動員できる体制とするとなり、場合によって「緊急事態の布告」警察法71条を使う。
警察法第七十一条(布告) 内閣総理大臣は、大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際して、治安の維持のため特に必要があると認めるときは、国家公安委員会の勧告に基き、全国又は一部の区域について緊急事態の布告を発することができる。
2 前項の布告には、その区域、事態の概要及び布告の効力を発する日時を記載しなければならない。
なるほど、と思う。それを国が知らないはずは無い。しかし適用には勇気がいる。それを果敢に行うのが非常時のリーダーシップであると疑わない。
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「危機管理省」の設置などは確かに民主党のマニュフェストにもあったが、現存していない。しかし現在ある法規でそれに代替できるものがあれば、これほどの事態を国難と言わずして何が国難であろうか。かかる事態にあってそれを使わないこと自体が問題だ。不作為の罪である。
10時半に原子力保安院からやっと屋内退避の具体的な説明がされた。やっと出たか!これも12日のブログで書いたが、これらの知識を、責任のある当局からでなく責任のない放送局からのサービスで、この1週間受けていたのである。
だから、前述したように、「これらの人々は専門家であっても、危機管理に適さない人々」なのである。
ちなみに、その後に、調査してみたところ、先日には記載の無かった佐々氏のH下記HPで「今回の大地震について(2011.3.16)」として緊急提案をしていて、非常時のリーダーシップの具体的な内容を示していらっしゃるった。
http://www.sassaoffice.com/cn16/pg137.html
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それから、昨夜だったか、災害支援のNPOであるピースウイングスの大西代表が述べてみていたことを思い出した。
政府による、救援物資の買取保証で、増産してもらうことだ。災害直後こそ、企業もボランティア的に拠出してくれたりするが、それは続かないからだ。
2時過ぎのニュースで菅総理が、事実上の大連立のアプローチをしたと聞いた。よき判断であろう。谷垣氏は断ったようだが、子供手当てや高速1,000円などのマニュフェスト項目を実施する予算を取り下げることなどで受けるべきであろう。国難たる非常時に細かいことを言っていては危機はさらに広がり深まる。
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菅総理も褒める部分は褒めて、やる気を削がないように、そして今は彼に頼るしかないのだから応援しなければなるまい。
もう1つ褒めることは、自衛隊の10万人体制である。ただ今、午後4時前に北沢国防相の会見中で、冒頭に10万人を達成したと報告していた。
この10万人規模に増強は過去最大で、自衛隊員の総数は約24万人で、防衛省内からは「これだけの人員を第一線に長期間張り付けることは不可能」との声も上がる中、首相はムリを承知で「戦後最大の危機」に立ち向かうとの報道がなされていた。
官僚や専門家は無理だという癖がある。その無理を通すのが非常時のリーダーシップである。まずは褒めたい。
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日経朝刊の「春秋」欄によって整理ができた。これまで思索の溝があると思われていた部分がこれで相当埋まる気がする。
すなわち、「情報公開の国家としての功罪」である。余り公開し過ぎると問題にならないかという不安に対して、公開しないからこそ、その隙をついて流言が忍び込み、「一片の流言はよく国を傾けることが出来る」とする、清水幾太郎の著書『流言蜚語(りゅうげんひご)』について書かれていた。
それが、時代を感じさせないのは、同様な危機的時代として関東大震災や二二六事件の体験を背負って書かれているからである。
『当局の発表は往々にして極めて抽象的であり、舌足らずである。冷たい難解な言辞文体によってよそよしい態度をとる』。記事は「そうした発表が、情報に飢えた人々の不安をどれだけあおるのか。為政者が『民衆は落ち着いておればよい』などと口走ることが、流言蜚語にとってどれだけ好都合なのか。」
ここ暫くは、少し改善されつつもあるが、今回の震災の直後はこれに似ていた。
民衆は、「情報に飢えている」とは納得がいった。それは正しく生死を分かつ情報として飢えているのは被災地周辺の人々であるが、首都以西であっても、好奇心としてもどうしても目も耳も傾いてしまう。
日頃それを鍛えているだけに尚更であるし、経営の必要性からも遠くに離れていても、チェックしておかねばならないのが現代の社会であるから状況を確認せざるを得ない。
たとえば、メール一本書くにも、時節を弁えた言葉使いが求められる。華美なことはやはり控えねばならないし、TVがCMを遠慮するように、余りに営業的な宣伝活動は顰蹙を買うからである。
海外の論調は、被災者の整然とした態度を賞賛している。昨日か今朝だったかの中日新聞を読んでいたら、災害の多い国土から培われた無常感や諦観がそれをかもし出していると論評していた。確かにそれもあるだろう。しかし私は、災害の影響を言うなら、大陸国土で他民族の侵略が絶え間なかった他の多くの国の方が、より無常感や諦観が育ったはずだと考える。
だから、それだけではなく、それ以上に日本人の「世間」に対する配慮から成り立っているからだと考える。無言の圧力が世間にはある。従って自粛する。日常はそれで成り立っているから、突飛な事はし辛くどうしても消極的な国民性を形成する。それは良いことであるとともに悪いことでもある。
もう少し、高尚に語れば、東洋思想・仏教・禅の影響かとも考えている。本格的座禅を7日間体験した程度で言える話ではないが、簡単に言えば「日々是好日」の黙々たる感謝・従運とでも言おうか・・・
記事は続く。「流言を防ぐには、『その発表に先立って(当局は)常に真相の発表に努力すべきだ』と清水は書いた。
こんな一節もある『新聞の官報化は、民衆の眼が近くなり耳が遠くなることを意味する』。人々のよく見える目、よく聞こえる耳となりえているか。流言が忍び込む隙を与えていないか。自問を迫られている気がする。」
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清水幾太郎については、哲学者だと思っていたが、記事では社会学者として紹介されていたので検索で確認すると、ウィキペディアの検索結果の冒頭にこう書かれていた。
「地震関係の内容を閲覧される皆さんへ、記載されている情報には、未確認であったり誤りがある可能性があることを考慮してください。また、地震に関する編集を行う場合は、必ず検証可能な出典を伴ってください。」
なるほど、それこそ流言蜚語を生まないために確かな情報源であることを示す、論文の注記に相当して、確実性を増させる工夫をしている。特に「地震」に関して記されているのが、現在進行形の社会不安に関連するのだろう。ひょっとすると、確認していないが「放射能」も検索するとそうなのかもしれない。
それはそうと、清水幾太郎を何故、哲学者と勘違いしていたのかが気になったので、哲学・幾太郎で再び検索して判明した。そう、西田幾太郎だ。そうだったとすっきりした。
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清水幾太郎に戻る。氏との出逢いは『論文の書き方』であることは、直ぐに思い出し、蔵書の中から古びた岩波新書を直ぐに探し出した。昭和34年発行で、蔵書としては昭和50年の31刷を購入していた。
22歳の頃に買っていたことになる。高卒の私にとって大学の卒論のために買った訳でなく、ただ自分の向学の為に買っていたことを思い出す。あの頃の月給は数万円だったかと思う中、月間の図書費は、近所の書店で付けが効いた程、確か5,000円は買っていたと記憶している。
しかし、暫くは積読で、それを具体的に読んだのは、書籍冒頭の手書きメモからすると1999年4月10日で、慶應通信入学2年目のことであった。だから、この時は来るべき卒論に向けて準備を始めていたことになる。
この本で大いに学んだのは「が」に注意することであった。私の文章修行はこの時から始まり、未だにブログで修行を続けている。この本の冒頭は「短文から始めよう」であるから、ブログはその修行に最適である。
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昼食後に散歩を兼ねて、買い物に出掛ける折に、先日読了した川北氏の本を二宮式に読み歩く。途中で、思い付きを表紙裏にメモしたことが大きかった。マーカーで次々思いつくアイデアを書き止めることが出来た。マーカーであれ、筆記具を持っていて良かったし、思考が散歩で開花した喜びもあった。血の巡りが良くなったのだろう。
思い付いたのは、単純なことで「知足」であった。『「自分の人生、これでいいのか」と思ったとき』を読んでいて、そうだ「これでいいのだ」と知足したのである。
後から、追加で読み込むと・・・というのは、この本は、ランダムに気に掛かる所をパラシュート読書していたので、まだ読めていない部分も多くあったが、その中に第4章として『「これでいいのだ」といえる人生』とあった。
それは、天才バカボンの父の言葉であることに、驚く。あの父は正しく禅僧のような存在で導いてくれていたのである。
そして、知足と言えば、思い出したのが「吾、唯、足るを知る」の4つの“口”を共有した京都、龍安寺の「知足のつくばい」である。写真はこれである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ryoanjitemple.JPG
そうだ!悩む必要はないのだ!「これでいいのだ」と満足し、足るを知ればいい。それは、満足を味わうことだ。さらに、それは我が社の経営理念の『賞味達成』に合致するではないか!
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土曜の今朝は7時に起床し、10時半からの『スイエンサー』では前回に続いてシューの料理教室で、今回はキャベツ大のシューを作ると言う革新的チャレンジに魅入った。
午後のニュースで、原子力保安院から初めて