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書き掛け グループ企業議決権分析+心豊かな生き方+

専門家の説明は未だに判り難い、「ベクレル」と「シーベルト」の違いもまだ、下手だ。今朝の、ある専門家は蛍の光をベクレルで説明していたが、余計に判らなくなり、シーベルトとの関係も説明し切れていない。
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未だに聞かないが、例えば電灯の「ワット」と「ルクス」の違いで 説明すれば容易だ。ワットは電灯自体の明るさの強さで、これがベクレルに相当する。ルクスは手許の明るさで、これがシーベルトに相当する。あるいは、「マグニチュード」と「震度」の関係で解説してもいいはずだ。

20社近いグループ企業の議決権割合の分析をする。8時から午後4時まで掛かった。そして、昨年末に依頼されてから、多忙につき待って頂いている案件である。あれ以来、これまで、折々にぶつ切れで考えてきた対策を一度繋げて考えて見る。午後5時に一旦終える。潜在意識に任せ、明日また考えてみるとする・・・

これだけの数のグループで検討するのは、珍しい。株主関係が入り組んでいる。クライアントは簡単だというが、初めて目にする私からすると、複雑極まりないことが、クライアントには判らないようだ。

これは、クライアントにとっては、長年の期間の中でそれぞれの物語の中で、あの株主が入ってきて、何故このような株主構成になったのか、似たような社名(例えば、〇〇㈱の子会社が〇〇サービス㈱だったり、〇〇産業㈱とか・・・)のいきさつは、こうで・・・というのが物語りとして理解されているから、頭に入っている。

それは、子供の多い家族に似ている。他人から見ると同じ顔に見える。まして名前が歴史上の人物のように、義永・義富・義之・義信・義宗・・・・で紛らわしい。しかし、親は長年の子育ての中で、しっかり頭に入っている。

これを、歴史を辿るように株主の名前と株数・議決権を把握し表を作成する。そして、途中途中で表の形式を変更して、どの形態が一番良いか判断する。
どれがクライアントの気持ちになれるか?何度も何度も変更する。金額の大きさで並べ替えして見えてくるものがある。株主グループの思惑もあるから、親族関係から色も変えて・・・数十回に及ぶ変更でベストな形式を選択する。

それでも、生みの親・育ての親(クライアント)には遠く及ばないものだ。

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朝、7時20分の寝起きに偶然見た原発事故に関するニュースの解説中で、頻繁に状況が変わる中、翻弄される政府の対応について、どうしたらいいのか?の解説が面白かった。それはリーダーシップそのものだからだ。

曰く、「状況把握」をして、「判断」をして、それを「伝達」するという流れの中で「判断」をするときに、「想像力を発揮して、先手を打った対策を考える」ことが大切だと言う。ごもっともである。

しかし、どんなに想像力を働かせたにしろ、今日起こったことを全て先手を打つことは困難である。後講釈では何とでも言える。

それは日々の経営でも同じである。だからこそ、経営者の一番の特質は何かと言われるときに「先見性」を挙げられるゆえんでもある。

世の中の変化を見通す能力である。しかし神のみぞの世界であって容易なことではない。そこで次に出てくるのが既に起こってしまったことへの「変化対応」で、経営の定義が「経営とは変化対応業である」と言われるゆえんである。これだけでも出来れば素晴らしいと言われることで、それを巨大組織でやるのは至難の技といえよう。

そんな中、満点ではないにしろ、及第点でやっていると採点されるのが現在の政府ではなかろうか?

経営でも変化に対応するために「朝令暮改の勧め」があったりする。しかし、その朝令暮改が認められるのは、信頼あるリーダーだからであろう。

それが欠けているリーダー(政権)は、行動で示すしかない。世の中ではそんなリーダーの方が多い。その時、より想像力による先手と変化対応が求められる。ここは逆に信頼を勝ち取る試練である。

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昨夜が最終回の『Q~わたしの思考探究~』のテーマは「心豊かな生き方とは」で昨日の『禅的生活』に通じる。

劇作家で演出家の長塚圭史氏は、「情報過多の世の中において、人々の想像力が欠如しているのではないか。どうしたら、もっと心豊かに生きることができるのか」という問いを抱いている。その問に対して答えるのは、井上陽水を哲学して話題を呼んだことのある哲学者で、早稲田大学教授の竹田青嗣氏である。

人間にとって、普遍的な「欲望」をキーワードに、「豊かな生」を取り戻すには何が必要かを探究する番組だが、何度も見直して考える。普遍的な欲望は「一般欲望」と呼ばれ、金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、愛されたいとかのことである。

これしか持っていないと幸せにはなれない。これに上手に抗うことが出来ないと段々元気がなくなってしまう。

これに対して、自分自身の「固有欲望」を持つことが大切であり、それが一般欲望に上手に抗う方法である。哲学では、こういうのだと話されたが、初耳だった。

その点、固有欲望を持っている私は救いがあろうというものだ。勿論、一般欲望もある。

さらには、心の豊かさの定義を、充実感と不安の抑制のマトリックスで考えるとの話もも理解を容易にさせた。
「不安の抑制」の軸では、極最近、保険加入により最低限の不安を相当消すことができた。次は、もう少しハイレベルでの「不安の抑制」という意味で、売上upだろう。これはすべての企業に通じる、万能の安全薬である。

そして、それを成し遂げる手立てが「充実感」のもたらされるものであることが重要だ。私の場合、執筆と講演の中で実現できると最高だろう。

しかし、そこにある程度、IT技術やネットノウハウが必要だろうと考えているが、どうしても後になる。しかし、それは充実感のためにはやむを得ないことと思いつつも、歯がゆい思いをしている。

さて、その上で、本題の「心豊かな生き方」は、人間の有史以来、哲学されており、結論はある意味出ている

ソクラテス(紀元前470年~紀元前399年)の言葉として、弟子のプラトンは『国家』の中でこう伝えている。『真の意味での富者はすなわち、黄金に富む者ではなくて、幸福な人間がもたねばならぬ富ーーー思慮かるすぐれた生ーーーを豊かに所有する者のことだ。』

つまり、本当に心豊かな生き方は、金銭や名誉、社会的地位を求めることではなく、思慮あるすぐれた生、すなわち、「自分の問いを持って生きることである」というのである。

パスカルの『人間は考える葦である』は、幸福論にまで至る重い解答であったと感じる。

そして、先の意味では、私は十分過ぎるほどの幸福者であり、本当に心豊かな生き方をしていることを改めて確認する。後は、我が社の経営理念と同じく『賞味』しなければならない。既に達成しているのだ!だからそれを味わい・感謝しなければならない。

ただ、私は「感謝」代わる言葉を捜している。「報恩」でもなく、ピッタリくる言葉を。

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2011年03月27日 13:04に投稿されたエントリーのページです。

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